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Q&A







こんばんはDJあおいです

読者さんからこんな相談をいただきましたよ







お悩み

「ペットボトルの水は飲まない方がいい」
「水道水は沸騰させても有害物質が残ってるから赤ちゃんのミルクに使わない方がいいよ」
「電子レンジは電磁波が、、、」
こんな感じの友達がいて
話を聞いているだけでしんどいです。
受け流せばいいものの、
いちいち苛々してしまう自分にも
呆れます。
じゃあ距離を置けば良いと
思われるかもしれませんが
古くからの幼なじみで情があります。
変なことを言い出したのも最近なので
距離感を掴めずにいます。

あとは、
「◎◎を暗殺したのはあいつじゃなくて黒幕がいる」とか
「自然災害といわれるものは人工」
「食糧危機はわざと」
など陰謀論もよく言うようになりました。

別に彼女を論破したいわけではありません。
私はなぜ彼女の話を聞いてこんなにも
苛々するのでしょうか。

だって別に彼女がなにを信じようが
私には影響がないのに
またしょーもない話して、、と
笑えない自分がいるのも不思議です。

あおいさんはどう思われますか。








幼なじみというのは
同じ言語、同じ価値観、同じ常識、という土壌で育ってきた
いわば『世界の共有者』です

彼女が陰謀論に傾倒するということは
相談者様と彼女が共有していたはずの『共通の現実』を
彼女が一方的に捨てて、別の世界の住人になってしまったことを意味します

苛立つのは、彼女を否定したいからではなく
『私たちが信じてきた世界を壊さないでほしい』
という防衛本能が働いているからではないでしょうか

『あの頃に戻ってほしい』という願望は
裏を返せば『今の彼女は、私の知っている彼女ではない』という深い喪失感です

人は悲しみや喪失をストレートに受け止めるのが難しいため
それを『怒り(苛立ち)』というエネルギーに変換して処理することがあります

彼女がトンデモ理論を振りかざすたびに
相談者様は『かつての親友を失い続けている痛み』を感じ
それが苛立ちとして表出しているのだと思います

親しい間柄だからこそ
彼女の無知や誤解を正さなければならない
あるいは、彼女がアングラ方面へ行くのを止めなければならない
という心理的な境界線の越境が起きやすくなります

『彼女が何を信じようが私には影響がない』と頭では分かっていても
心が『彼女は私の一部(あるいは地続きの存在)』だと思っているからこそ
自分の大切な一部が汚染されていくような不快感を覚えてしまうわけです

イライラの正体は、彼女に対する『信頼の残骸』です
『あんなに話が通じたはずの彼女が、なぜ』
という期待が残っているからこそ、裏切られたような気持ちになる

もし彼女との関係を続けたいのであれば
一度『かつての彼女』を自分の中で弔い
『得体の知れない思想を持った、でも放っておけない新しい知人』として
ゼロから関係を再構築するくらいの割り切りが必要かもしれませんね




以上
DJあおいでした



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こんばんはDJあおいです

読者さんからこんな相談をいただきましたよ







お悩み

あおいさん、こんにちは。
いつもブログ拝見しています。
あおいさんのご意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

私は32歳で同い年の旦那と生後5ヶ月の娘の三人暮らしです。
以前家族で出かけている時に、出先で旦那の知人(男)と会い、「最近飲みに出てこないじゃん。奧さんが行かせてくれないの~?笑」と言われました。
結婚前から「今から飲みに行こう、奥さんに一応許可とってきて」「奧さん、たまにはこいつ(旦那)連れていっても良いかな?」等、このような会話をよくされます。
旦那とはかれこれ10年ほどの付き合いがあるのですが、今まで飲み会に行くなと言ったことはありません。(臨月の時に飲みに行こうとしたときは流石に説教しましたが)
旦那は自営業で付き合いも大事だろうなと思うので、飲み会の回数や帰宅時間も制限もしたことはないし、付き合いでキャバクラに行くこともあるそうですが、どうぞご自由に勝手に行ってこいスタイルです。ただ、今は娘がまだ小さいので、行っても早く帰るなり大事な会合だけ行く等自分で考えて行動しなよ、と言うだけです。

ただ、毎回この会話が引っ掛かって、ちょっとだけいらっとします。笑顔で「どうぞどうぞ、連れて行ってくださいね」と返答してますが、子どもが小さいのに再々飲みに出るかよ馬鹿やろうと心の内では思ってます。
「飲み会出られない=嫁が許さない」みたいな感じがイライラします。男性のデフォルト会話なんですかね?

あおいさんはどう思われますか?








『遊びに行く = 飲みに行く』

という、一択の遊びしか知らないのが『アホなのかな?』と思います


もっとバリエーションがあってもいいと思うんですよね

『キャッチボールしようぜ』でもいいし
『ミニ四駆やろうぜ』でもいいし
『早朝ゴミ拾いやろうぜ』でもいい

その気になれば遊びの選択肢なんて無限にあるはずなのに
それを考えないのは怠惰なのかなーと

様々なバリエーションがある中での『たまの飲み会』なら理解できるんですけどね
飲み会しか遊び方を知らない人には
正直『それ、楽しいの?』という軽蔑しかありませんね

『飲み会に出られない = 妻が許さない』みたいなノリ(?)も
きっと何処かから拝借した定型文なのでしょう
たぶんその人自身の言葉ではありません

悪気はない、でも知能もない
量産型のヒューマノイドだと思ってください




以上
DJあおいでした



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読者さんからこんな相談をいただきましたよ







お悩み

6年付き合っている20歳差の彼氏がいます。
社長なので平日の昼間は短時間会社に行くくらいで
ほぼゴルフに行ったりしています。
夜は無尽だったり、ゴルフの打ち上げで週に一回は必ず飲みに出ます。基本週3くらいは行ってると思います。
飲み(居酒屋)に行くのはいいのですが、必ず飲み屋(スナック)に行きます。
そこにいる女と何かあるとは思ってないのに、(少しは思いますけど。)行かれるたび毎回気分が悪いです。
ゴルフもそうです。わたしは会社員なので平日は仕事。楽でいいよな、って思ってしまいます。むかつきます。
社長は社長なりの苦労があるのも分かっていますが、相手の行動を見てると不快です。どうしてでしょうか?また、どう思えば気分が悪くならなくなるのでしょうか。お助けください。








彼の遊び(ゴルフ・酒)は笑えるほどテンプレート通り
いわゆる『昭和の成功者』のステレオタイプです

なぜ彼がそんな記号的な遊びに終始しているのか
それは彼の中に自分だけの独自の感性や心から探求したい情熱が枯渇しているから

世の中に溢れた『社長っぽい遊び』をなぞっているだけで中身は空っぽ
彼は自己実現を終えた先にある『他者貢献』という高次なフェーズに進む体力(もしくは知恵)がなく、コース脇の売店で手近なレジャー(道楽)を消費して時間を潰しているだけです

つまりそこには彼の美学や矜持がない
稚拙に見えるのはそのせいかもしれませんね

彼は精神的なアップデートが止まっている状態
一方、相談者様は成長過程にある
この人間性の解像度の差が、不快感の根本原因なのかなと

『社長なりの苦労がある』とか、無理に理解しようとしなくても結構です
『金だけ持っている暇なおじさん』だと解釈を格下げしてください

社会的なリソース(金・時間・権限)を握った人間が次に進むべきは
本来なら『自分のため』ではなく『誰かのため』『次世代のため』にその力を使うステージのはずです
しかし、この彼が陥っているのは『自己実現のその先』ではなく『自己愛のループ』です

『むかつく』と感じる根本的な理由は、単に彼が遊んでいるからではなく
『この人はこれ以上の高み(精神的成長)を目指さないのだ』
という底の浅さを直感しているからかもしれません

必死に働き、成長しようとしている相談者様からすれば
リソースを持ちながらそれをスナックやゴルフなどの記号的な遊びに消費している彼の姿は
社会的な成功者というよりは『精神的な隠居(あるいは劣化)』に見えてしまう

尊敬できない成功者ほど、一緒にいて虚しいものはありませんからね




以上
DJあおいでした



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お悩み

夢のためにもっと頑張りたいものの時間がなく、何も削ることができないということについて相談したいです。

私は子どもの頃から長い間、小説家になりたいと思っていました。
しかし大人になるにつれ物語が思いつかなくなり、社会人になりました。
それからも話を作りたいと思っていたもののなかなか思いつかず、仕事もプライベートも充実せず、空っぽだと思いながら生きていました。
ただ、『小説家になれたらいいのに』という思いと、『将来理想の家を建てて犬と猫を飼いたい』という思いはありました。

しかしある時から人生が変わりました。
仕事に関わる資格を取り、パートナーとも円満に過ごし、可愛いペットを愛で、家族以外の人間関係も前より充実し、一人でやる趣味も楽しんでいます。
理想の家を建てるという夢も叶い、忙しいながらも楽しく生きております。

そんな時に小説のアイデアが突然降ってきて、書き始めました。
ウェブに公開し、ありがたいことに読んでくださる方や応援してくださる方もたくさんいらっしゃいます。
何より自分の世界観を表現し、それを見ていただけることが本当に嬉しく、もっと書きたいという思いも募ります。
小説家になりたいという夢がまた湧き上がり、今では書籍化を目指しております。

書籍化を目指すにあたり、
本当は、毎日更新にしたいと思っています。
しかし、時間が全然足りません。週2~3回が限界です。

とはいえ、仕事ももっと難しい資格の取得を目指しているし、ペットたち含む家族との時間や友達との時間もかけがえのないものです。
通勤時間はすべて小説に使っていますが、それでも毎日更新は無理です。
最近はお風呂が時間の無駄に思えて、少しイライラするときがあります。
仕事をセーブしてパートにさせてもらえば、家族との時間も可能性大切にしつつもっとゆっくり小説を書き、戦略を練ることができるのかと思う反面、
ローンを返しつつも将来のためにお金を貯めていかねばなりませんから、そうなるとやはりセーブしないほうがいいのかとも思います。
何より今の仕事や資格勉強に対してもまた、やりがいや達成感を感じているのです。

これ以上削れるものがないのに、
もっと頑張りたいという思いばかりが募って辛いです。
何をどう削ると良いでしょうか、好きなことで食べていくにあたって何の時間を削りましたか?








相談者様は物理的な時間(リソース)」の不足を嘆いていますが
その根底にあるのは『動機の変質によるメンタルの摩耗』のように思えます

かつて相談者様にとって小説は『自分の世界を表現する喜び』そのものでした
これが純粋な内発的動機です

しかし、現在は『外的な報酬』が強く意識されています
書籍化という社会的承認
読者の反応(毎日更新という期待への応え)
『好きなことで食べていく』という経済的自立

『書きたいから書く』という状態から
『書籍化のために毎日書かなければならない』という義務感へシフトしたことで
本来癒やしや充実であったはずの執筆が
仕事や資格勉強と同じ『タスク』の列に並んでしまった
これが、お風呂の時間すら惜しくなる『焦燥感』の正体でしょうね

『小説を書きたい』という人の作品と
『小説家になりたい』という人の作品
面白いのは絶対に前者

相談者様はかつて空っぽだった頃の純粋な『書きたい』という初期衝動を
今の充実した生活というフィルターを通して
いつの間にか『小説家という肩書き』を手に入れるための作業に変換してしまっています

『毎日更新』にこだわって、お風呂の時間すら惜しんでいる作品には
おそらく以前のような鮮烈さは消え
『間に合わせるための言葉』が混じり始めているはずです

削るべきは『時間』ではなく『欲』
この問題はタイムマネジメントの技術では解決しません

『小説家にならなければ、この物語に価値はない』という思い込み

『毎日更新しなければ、読者は離れていく』という恐怖

これらはすべて外発的な動機(他人軸の評価)です
面白いものを書くために一番必要なのは『好奇心』であり
その好奇心を奪っているのは皮肉にも
自分自身の『小説家になりたい』という功名心なのかもしれません

肩書きなんて世間が勝手につけるもの
それを自分から欲しないように

好奇心のままに楽しめよ




以上
DJあおいでした



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お悩み


※相談者様の希望により、相談文は伏せさせていただきます









相談者様が経験してきた『ある時は優しく、ある時は無視される』という友人の振る舞いは
心理学でいう『間欠的強化』にあたります

いつ報酬(優しさ)がもらえるか分からない不安定な状況は
常に優しくされるよりも強い執着(依存)を生みます

相談者様の脳内では、『必死に顔色を伺って、すがりついて、やっと口をきいてもらえた』という成功体験(?)が、生存戦略として深く刻み込まれてしまっているのでしょうね

人間にとって最もストレスなのは『悪いことが起きること』ではなく
『いつ悪いことが起きるか予測できないこと』です

相談者が言葉を求めるのは
愛を確認したいというよりは
『いつ無視されるかという予兆を察知し、回避したい』という防衛本能の暴走です
夫がどれだけ誠実でも、脳は『今はいいけど、あの時のように突然変わるはずだ』という過去のデータをもとに警報を鳴らし続けている状態です

相談者様の悲劇は『目の前にいる優しい夫』に
『過去の残酷な友人』を投影して見ている点です

夫が主導的に家事をしてくれても、家を建ててくれても
トラウマが未処理である限り
どんなにポジティブな行動も『裏があるのではないか』という疑念に変換されてしまいます

本来、言葉での愛情表現など信頼に値するものではありません
なぜなら言葉は容易に嘘をつけるからです
一方、行動で嘘をつける人はそうそういません
信頼をするのなら行動を見ること
それが鉄則です

でも、相談者様には『行動こそが真実』という理屈が採用されない
なぜなら『安心の器』に大きな穴が空いているからです

『行動』という確かな愛情を注いでも
トラウマという穴から全部漏れてしまう
だから、即効性があって
その場しのぎができる『言葉』という軽い刺激を、点滴のように打ち続けなければならない
これではいつかは共倒れになってしまう
悪い意味での自己成就が成立してしまいます

必要なのは、夫への確認ではなく、『過去の自分へのケア』です
あの時の無視は、自分が悪かったからではない
相手が未熟で残酷だっただけだ
今の夫は、あの人たちとは違う人種なんだ
と、脳の深い部分(感情)に納得させる作業が必要です




以上
DJあおいでした



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