こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
あおいさん、義母との関係、そしてそれに対する夫の対応について悩んでいます。
義母は50歳の時、義父の不倫をきっかけに離婚しました。
離婚後も職を変えることなくスーパーのパート勤務を続け、すでに社会人だった2人の息子から生活費を入れてもらう形で生活してきました。
家事や食事は「自分の仕事だから」と義母が担い、当時は夫も「3人で支え合って暮らしている」と言っていました。
ただ今振り返ると、息子が経済的に支えることを前提に、母が生活の主導権を握る構造だったように感じています。
義母は普段、「気を使う優しい義母」という印象です。
「なるべく働けるだけ働くから」
「老後は貯金を崩して生活するから」
「あなたたちには迷惑をかけないようにするから」
といった言葉もよく口にしていました。
ただ一方で、
「姉のところの長男夫婦も共働きなんだから、年金暮らしの姉の家に生活費を入れてあげてもいいのにね」
「私は姑に節句ごとに贈り物もして、お小遣いまで渡していたわよ」
など、直接的ではない形で、将来の援助や“嫁の役割”を匂わせる発言が続いていました。
決定的だったのは、義母の姉が危篤状態になった時です。
「病院の往復が大変でね」「私ももう歳だから」といった言葉をきっかけに、夫が毎週送迎をするようになり、それがいつの間にか当然の役割となり、半年も続いていました。
夫はこれを
「母が可哀想だから」
「自分がやりたくてやっている善意」
と捉えており、私が不満に思っていることを分かっていても、母を支えない=裏切るような感覚があったのか、自分がしんどくても断れないように見えました。
その結果、義母の負担や不安は夫が引き受け、夫婦の生活や、私が体調を崩した時のケアは後回しになり、私は心身ともに限界を迎えました。
私が限界を迎え、直接不満を伝えた際、義母は私に対して
「私に不満があったとしても、嫁が我慢しろ」
と発言しました。
この一言で、
・嫁は調整役・耐える側
・母は責任を取らない位置
・息子が背負うのは当然
という前提が、はっきりしたように感じました。
義母に悪意があるとは思っていません。
ただ結果として、義母は傷つかない場所に立ち続け、夫が背負い、そのしわ寄せを私が引き受ける関係になっていたと思います。
これは嫁姑の感情的な対立の問題ではなく、
夫が「何が社会的に適切か」を判断できないまま、母親との境界線を引けずにいる構造の問題だと感じています。
夫の中では、
・母は守るべき存在
・親孝行をしないと罪悪感に耐えられない
・母の期待に応え続けることが「正しいこと」
という前提が強く、
特に義母の姉が危篤という緊急事態では、夫婦としての判断や責任よりも、母との関係が優先されているように見えます。
私からすると、この親子関係は健全な自立や分離ができているとは思えず、
夫自身も「善意」で動いているつもりのまま、結果的に家庭を壊す選択を重ねてしまっているように感じます。
これは誰かが悪いという話ではなく、
夫が家庭を持っても義母の不安や負担を引き受ける役割を担い、そして「罪悪感」を基準に行動してしまう構造そのものが問題なのではないかと思っています。
この親子関係、そして夫の境界線の引けなさは、健全なものなのでしょうか。
第三者の視点から、ご意見を伺えたら嬉しいです。
これって嫁姑問題とか介護問題とか
そんな大層な話に見えるかもしれませんけど
もっと身も蓋もないところに本丸がある気がするんですよね
たぶんこれ、構造の問題じゃないです
もっと単純、そしてもっと人間くさい話です
まず前提として
義母さんは悪人ではないと思います
50歳で離婚して、パートで働いて、老後の不安を抱えて、頼れるのは息子だけ
どう見ても『楽な立場』ではないんですよね
甘えているというより
甘えなければ生活が成り立たない位置に立たされている人
むしろ普通にハードモードです
だから『搾取している人』とか『責任を取らない人』とか
そういうラベリングはちょっと違う気がするんですよ
そして夫くんもたぶん同じ
『母が可哀想だから』
これは言い訳ではなく本音でしょう
義務感じゃなくて善意
できることはしてあげたい、ただそれだけ
人としては、むしろ真っ当なくらいです
つまりこの話、悪者がいないんですよ
全員それぞれ必死に生きてるだけ
なのに、なぜこんなにしんどいのか
ここで一回、冷静に数字だけ見るとどうでしょう
週一の送迎
客観的に言えば、そこまで過酷ではないですよね
毎日介護している人だっている
生活が破綻するレベルかと言われたら、そこまででもない
じゃあ何がそんなに苦しいのか
たぶんそれは『量』じゃない
『感情』です
もう身も蓋もないことを言いますけど
相談者様はお義母さんのこと、単純に好きじゃないんだと思います
生理的に合わない
苦手
できれば関わりたくない
たぶんこれがいちばん正直な本音じゃないでしょうか
人間って残酷なもので
好きな相手のためなら同じ労力でも『愛情』になるのに
苦手な相手だと『苦痛』になるんですよ
やってることは同じなのに、意味が真逆になる
これが感情フィルターです
もしお義母さんが大好きな人だったら
『送迎大変だね、私も手伝おうか?』
『お母さん心配だね』
って、夫婦で共有できる問題になっていたはずなんです
でも『嫌い』が先にあると
『なんでうちが?』
『また?』
『いつまで続くの?』
になる
たぶん今起きているのはこれ
構造問題というより
ただの相性問題です
でも『嫌いだから無理』と言うと、自分が悪人みたいに感じる
だから人は理屈を探すんですよ
境界線がどうとか
家族構造がどうとか
社会的に適切かどうとか
でもそれって、後付けなんですよね
感情の化粧
順番はいつも逆
まず『イヤ』があって、後から『理由』が生まれる
そしてもうひとつ
これは義母さんよりも、夫くんとの問題です
親をどこまで助けるかって、正解がある話じゃないんですよ
週一が正しいとか、月一が正しいとか、そんな基準はない
あるのはただひとつ
夫婦で納得しているかどうかだけ
これがすべて
生活の問題なんですから
お金や家事分担と同じで、
『どこまでやる?』ってテーブルで決める話で
道徳の問題にしちゃいけない
なのに『親が可哀想/私は辛い』って感情論だけがぶつかるからこじれる
本当はもっとシンプルに
『私は正直お義母さんが苦手、だからこの頻度はしんどい』
『あなたの最低限と私の最低限は違う』
これをそのまま出していいんです
正論じゃなくて体感を
好き嫌いって、悪じゃないですから
聖人じゃないんだから、合わない人がいて当然
問題なのは、嫌いなことじゃなくて
それを理屈で包んで戦争にしてしまうこと
これは嫁姑戦争でも、介護問題でもなくて
ただの夫婦のすり合わせ不足
それだけの話だと思いますよ
だからまずやることはひとつ
義母をどうこうする前に
ご主人とちゃんと生活会議をすること
正義の議論じゃなくて
『私はここがしんどい』という感情の共有を
答えはたぶん、そこにしかありませんよ
以上
DJあおいでした
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