こんばんはDJあおいです

読者さんからこんな相談をいただきましたよ







お悩み

主人の不倫相手が、「弱っている人を救い、社会に貢献したい」という理由で、アロマハンドマッサージのテラピストになったと聞きました。

私の心を壊す出来事に加担した人が、「弱きを救いたい」と語ることに、どうしても強い違和感を覚えてしまいます。

それは一体、誰にとっての社会貢献なのでしょうか。

このモヤモヤが止まらない私は、器が狭いのでしょうか。

それとも、ただ心がまだ追いついていないだけなのでしょうか。







例えば、凶悪犯罪者ほど
服役中に宗教やスピリチュアル、慈善思想に強く傾くケースが多いそうです

理由はとても人間的で、そして少し残酷です
一番の理由は、『自分がやったことを、そのまま抱えて生きられない』から

人は『自分は取り返しのつかないことをしてしまった悪人だ』
と認識したままでは、精神が壊れます
そこで宗教などは、とても都合のいい構造を持っているんですよね

悔い改めれば赦される
神の前では人は皆等しく罪人
過去より今の信仰が評価される

これは、被害者の人生ではなく、加害者の精神を守る仕組みでもあるわけです

しかし、反省しているか、共感性が育っているか、他者の痛みに想像力を向けられるか
これらは、信仰とは別物です

むしろ信仰が強まるほど、被害者が物語から消える場合すらあります

『神に赦された私』という物語が完成すると
もはや人に向き合う必要がなくなるからです

不倫相手の件も構造は同じですね
猟奇殺人者が宗教に救いを求めるように
不倫の加害者が『社会貢献』を語る

どちらも自分を許すための上書きストーリーです

そしてそこには
被害者側の人生は反映しません

だから、相談者様が感じた
『それは誰の救いなのか?』
という疑問は、とても健全です

ただただ軽蔑してあげましょう



以上
DJあおいでした



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