こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
以前、こちらの質問をした者です。
回答ありがとうございます。
周りが私に求めているコミュニケーションと、自分のコミュニケーションの取り方の方向性が違うというところに「方向性が違うって考え方があったんだ」と思いました。
周りから求められているコミュニケーションの取り方で後輩に接しないと「あいつはコミュニケーションが取れていない」ということになり、評価されません。
別にそれでいいやと思えれば楽なのですが、周りが求めている理想の先輩像になろうとしてしまいます。
そしてなろうとして苦しくて、なれなくて落ち込みます。
ありのままの自分で関わろうとするから上手くいかないけど、演技しようとすると疲れてしまいます。
どうすればいいのでしょうか?

ありのままの自分で生きるか
周囲に合わせて演じるか
この二択で悩みがちですが、そもそもこの立て方自体が少し幼い
人には大きく分けて、三つのレイヤーがあります
ひとつ目は、核
気質、感受性、価値観
これは『嘘偽りのない私』と呼ばれる部分で、基本的には変えられません
ふたつ目は、態度
どう話すか、どう振る舞うか、どんな距離感を取るか
これはその都度、選ぶことができるものです
みっつ目は、役割
先輩として振る舞うのか、部下として振る舞うのか、仕事仲間として関わるのか
これは『引き受けるかどうか』を自分で決められるもの
ここで多くの人が混乱します
『社交的に振る舞う私は嘘なんじゃないか』
『無理をしている私は本当の自分じゃないんじゃないか』
でも、職場や人間関係で求められているのは
あなたの核ではありません
態度と役割です
つまり
核を理解されなくても成立する関係が世の中の大半を占めている、ということ
この分離ができていないと
役割を演じる=自分を否定している
自然体でいる=誠実で正しい
という極端な二元論に陥ります
だから苦しい
『演じて愛される孤独』か
『嘘偽りのない自分で孤独』か
そんな悲壮な二択を立ててしまう
でも、実際の選択肢はそこではありません
本当の選択肢は
役割として振る舞い、そこに自己価値を期待しないこと
核を分かち合える相手は、数人いれば十分だと知ること
この二つを分けて持つことです
成熟とは、『演じないこと』ではありません
演じている自分も、自分だと引き受けることです
先輩として振る舞っている自分も
社交的に応対している自分も
それは嘘ではなく『選んでいる自分』
そこに『理解されたい』『分かってほしい』という期待まで背負わせるから、孤独になる
役割は役割として使い
核は核として守る
この分離ができたとき
人はようやく『無理をしていないのに、孤独でもない』という状態に近づけます
相談者様はかなり本質に近いところまで来ています
あとは、どのレイヤーに何を求めるかを、はっきり分けるだけですね
以上
DJあおいでした
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