こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
あおいさん、いつも愛読させていただき、考え方を学ばせていただいてます。
私は今まで、能力主義で生きてきました。
小さい頃から、足が早い、運動ができる、
頭がいい、スポーツができる、可愛い。
目に見える能力で、友人を選び、自分にもいつも厳しく、基準高く、目に見える事に対する努力をしてきました。
ただ、27歳になった今、次に目指すものは深い人間関係を広げていく事だとかんじています。
これまで長く続く人間関係という意味では、その時の自分の目標に合った人のみと付き合ってきて、そこに必要のない人は、疎遠になってました。
そんな今、改めて能力主義ではない、人との繋がりを大切にしたいと考えます。
なぜなら、能力や才能はそれがなんらかのきっかけで揺らぐと、人間関係すらも危うくなる危ない関係。
私は、自分の長所も短所も受け入れて、
長所のチーム戦で、今世を生き抜く人間関係を築いていきたいと思ってます。
苦手を克服するには、時間が足りない。
それならこれまで培ってきた何らかの能力で戦おうと、そう思う次第なのです。
改めて大きい村を作れる人間とはどういう人なんでしょうか?
あおいさんの見解を教えていただきたいです。

友人とは、損得・役割・成果が発生しない関係です
何かを生み出すわけでもなく
役に立たなくても切られることもない
成長しなくても許されるし
意味もなくただ一緒にいるだけ
だからこそ『友人』なんですよね
意味が出始めた瞬間
それはもう、仲間、同僚、チーム、ネットワーク
という関係に変質してしまいます
能力主義の世界では、関係は目的達成の手段
意味のないものはノイズになりがち
だから『友人を作ろう』とすると頭がバグる
本来、友人は作るものではなく、残るものだから
『村』と『友人』は別物です
村は機能の集合体(役割・支え合い)
友人は機能しない関係
この相談者様はこの二つを混同しています
長所のチーム戦は生活戦略としては正しいのかもしれません
でもそれは、友人関係の代替にはならない
理由は単純で
人は常に何かの役を演じ続けられないから
役に立たない自分、成果を出さない自分、ポンコツな自分
それを置いておける場所がないと、人は壊れます
友人は『自分が休める場所』なんですよ
だから意味があってはいけないんです
相談者様の言う『村を作りたい』という願望の正体は
『今度は孤独にならない位置を確保したい』という保身です
中心にいたい
必要とされたい
今度は切られたくない
これはエゴ以外の何物でもありません
深い人間関係を築きたいのなら答えは一つ
今まで切ってきたような
何の得にもならない人間関係を
今度は自分が引き受ける番です
それができないなら
この相談はただの遅れてきた孤独への言い訳ですね
以上
DJあおいでした
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