こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
こんばんは、スイートポテトを食べ漁りたい季節になりました。いつももやもやしたときにひょっこりとブログをのぞかせていただいております。
私は三十代女性です。今日は、見た目や服装、言動のことで感じる私のもやもやについて聞いていただきたいです。
学生時代の友人とは年に二回ほど会うのですが、その友人の服装や持ち物、髪型があまりにも中高生かおばさんのように感じてしまいます。また、極度の内気で自信がなさげ、そのためか表情や姿勢がとぼとぼしている様子です。言動に幼さも感じるため、一緒に出掛けていてもこれは私たち何歳に見られているんだろう…と少し恥ずかしく思う自分がいます。
その度に、自分だって服装に興味がなかったり、センスがなかったりしたときもあるじゃないかと思うし、幼さについてもたまたま私がその子より経験しているだけで、この子がその機会がなかった背景に寄り添うべきだし、母や姉がお友達からそう思われていると想像すると悲しくなります。なにより学生時代にその子に助けてもらったことがあるので、友人の服装やふるまいに恥ずかしさ、もやもや?を感じてしまう自分が嫌です。見た目じゃなく性格が大事だとは理解しているのですが、なんとなく受け入れがたさがあるのは、どうしたらよいのだろうと悩んでいます。
この自己嫌悪感に折り合いをつける意見をなにかお聞かせいただければ幸いです。よろしくお願いします。
寒さを感じるようになってきたので、ご自愛ください。

あなたが感じている『恥ずかしさ』の正体は
他人を通して自分の価値を確認しようとする自意識の防衛反応です
人は、自分が属する集団や隣に立つ人の印象を通して『自分がどう見られているか」を推測します』
つまりあなたは、友人の服装や言動を見て
『この人と一緒にいる私はどう見られるんだろう』と自分の社会的イメージを気にしている
だから本当のところ、あなたが恥ずかしいのは友人ではなく
『自分の見栄が損なわれること』なんです
しかもその一方で、『背景に寄り添うべき』『助けてもらったし』と理屈で自分を正当化している
これはいわば、優越感を隠すための良心的演出です
道徳的に正しく見せようとする意識が強い人ほど
内面にこうした小狡い自己防衛が起こりやすい
ただし、ここで大切なのは自分を責めることではありません
自意識は人間が社会の中で生きるうえで必要な装置です
問題は、それが他人への評価にすり替わってしまうこと
『友人がどう見られるか=自分がどう見られるか』と感じてしまうのは
自分と他人の境界が曖昧になっている状態です
この状態から抜け出すには
まず『私は他人の外見を通して自分の価値を測ってしまうことがある』と認めること
それを恥じる必要はありません
むしろそこに気づけた時点で、あなたは『見栄に支配される側』から『見栄を観察できる側』へ一歩進んでいます
他人の未熟さを恥ずかしいと思うとき、人は自分の成熟を疑うべきです
本当に成熟した人は、他人の未熟さに動揺しません
それを見て恥ずかしくなるのは、自分の中にまだ同じ未熟さが残っている証拠なんです
恥ずかしさとは、他人を通して見た自分の影なんですよ
以上
DJあおいでした
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