こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
あおいさんこんにちは。
いつも拝読しております。
今回どうしたらいいのか分からないことがあり、相談させていただきます。
自分は30代後半で、30代前半の妻と小さい子供が1人います。
悩みというのは妻が自分の家族や親戚についてやたらと否定的なことです。
正月や法事などの会があれば年に1〜3回、家族、親戚が集まります。
法事や家族イベントなどは一定の常識がありますが、基本的には家族間のしきたりがベースになるものかと思いますが、
そのしきたりについて、
・うち(妻の家族のしきたり)とは違う
・そのルールがよく分からない。謎すぎる
→特に理不尽なものはありません
・親族間で話してる内容がお金や仕事の話が多くて疲れる。聞きたくない。
という形で強目に否定してきます。
家族の話題については言われれば仕方ないとは思いますが、
作法についてはキッチリとした作法に則ったものではないものの、かといって一般常識を逸脱しているとは思っておりません。
あくまで家族間で話し合って、「こうやって行こう」という流れのもと行ってるだけであり、
それに正解不正解は無いと思いますが妻は自分の考えてる内容と合わないと否定から入ります。
ただ、それを家族親戚に言うわけではなく、特にトラブルがあるわけではないのですが、
会が終われば疲れた表情で文句をグチグチ言います。
自分も妻の親戚のイベントや法事などに参加しますし、家族間ルールなどはありますが、「家族にはそれぞれ文化や事情がある」として、気にすることはありません。
また、自分の家族、親戚が妻に対して強く当たったりしてる様子はなく、むしろ関係は良好のように見えます。
こちらの家族のイベントに参加してくれていることには感謝しつつも、そこまで言うなら無理に参加しなくていいよ、とつい思ってしまいます。
子供もいるので、家族みんなで良好な関係を継続していきたいのですが、
妻が毎回キツイ思いをしてまでやらなくていいと思うし、自分も家族を悪く言われるのが辛いです。
今後どうしていけばいいのか、ご相談したいです。どうぞよろしくお願いします。

日本社会における『家族』という単位には、いまだに『家制度』の残滓が色濃く残っています
それは法的にはすでに廃止された制度でありながら、人々の意識の底では今もなお息づいています
『家族はひとつであるべき』『親族とは良好な関係を保たなければならない』
そうした信念は、無意識のうちに人々の行動原理となり
個人の感情よりも『和』を優先する文化を生み出してきました
正月や法事、親族の集まりが『参加すべきもの』として扱われるのは
まさにこの文化の延長線上にあります
そこでは『なぜ集まるのか』という目的よりも
『集まらないことが失礼にあたる』という社会的同調の力が働きます
それが『常識』と呼ばれるようになり
疑うことなく受け入れられてきたのです
しかし、現代社会はすでに『家』の時代ではありません
血縁よりも個人が重視される時代において
かつての『家意識』は、次第に心理的負担として姿を変えています
にもかかわらず、親族の場では依然として『郷に入れば郷に従え』という
暗黙の圧力が残り続け、そこに違和感を覚える人が増えています
相談者様の奥さんが感じている拒否反応は
単なるわがままではなく、この構造への自然な抵抗とも言えます
彼女は『なぜそれをしなければならないのか』を問うことで
時代の変化に適応しようとしているのです
一方、相談者様は『家』の文化の中で育ち、それを『当たり前』として受け継いできた
そこに悪意はなく、むしろ調和を守ろうとする誠実さがある
けれど、その『当たり前』こそが
社会的構造の一部として無批判に継承されているものだと気づくことが大切です
『常識』とは、社会が作り出した最大の思考停止装置です
誰かがそれを疑うことで、初めて社会は次の段階へ進む
奥さんが抱く違和感は、その進化の入口にあるとも言えます
これからの時代、家族とは『同調する集団』ではなく
『価値観の違いを前提として共存する共同体』へと
形を変えていく必要があります
血縁という縛りよりも、個人の尊厳をどう尊重するか
その問いに向き合うことこそが
日本社会が『家制度』から本当に解放される一歩なのかもしれません
以上
DJあおいでした
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