こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
djあおい様
あおいさんの記事を読んでる時間が、日々私にとって癒しや気づきや自分を守ってくれる時間になってることに最近気づきました。いつも発信し続けてくださり、ありがとうございます。
本題です。
なにもかも1人で背負っていくような気持ちがして、泣けてきてしまう時があります。自分の主観なのだから自分で処理すべきなのはわかるのですが、そんな自分を私はどう受け止めたらいいのかわからなくて、もやもやします。
幼少期から実家に馴染めてない感覚はあったのですが、旦那さんと出会って自分は自分でいいのだとおもうことができました。子どもは体をはじめとして発達がゆっくりで、大変なこともありますが、あおいさんのいう自分の心臓を捧げてもいい存在という表現がしっくりきます。旦那さんや義実家(別居ですが沢山助けてくださってます)は私を大事にしてくれる存在だと感じてはいますが、彼等の輪には入っていけない気がします。当たり前かもですが。子どもを通していつも自分の未熟さを感じますが、成長も数えるようにしています。
でもやっぱり自分の理解者は自分しかいないことが孤立してつらいと思う時にどうしたらいいのかなと思ってしまいます。
自分本位で欲張りで、計算が足りてないから結果余裕がないことが原因なような気がしています。あと後悔はないくせに、自分で選んだ責任をとることに慣れていないのかもしれません。そういう時はしっかり寝たり、いまあるものに気づくことをしていますが、その場しのぎなことをしてる気がします。
この気持ちをずっと抱えていくと思うとしんどいなという気持ちと、せめて子どもが自立するまでは自分は簡単に揺らがない存在でいたいと思っています。
ここまで目を通してくださり、ありがとうございました。沢山投稿あると思うので難しいかもしれませんが、あおいさんのご意見いただければ嬉しいです。
いつもありがとうございます。

『なにもかも1人で背負っていくような気持ちがする』
この言葉には、強さと優しさの両方が滲んでいます
けれど、それは少し独りよがりでもあります
ここで言う独りよがりとは、わがままという意味ではありません
むしろ、『誰かを困らせたくない』『自分が我慢すれば丸く収まる』と思う、優しすぎる人が陥る独りよがりです
あなたの中の優しさが、あなたを孤立のほうへ導いてしまっているのかもしれません
本来、人の人生は1人で背負えるような代物ではありません
たとえどんなに自立した人であっても
家族や社会とのつながりの中でようやく立っていられるものです
背負おうとするその姿勢自体が、あなたの誠実さの証ですが
『1人で抱える』という形にしてしまうと、それは『愛』ではなく『苦行』に変わってしまいます
『旦那さんや義実家に助けてもらっているけれど、輪に入れない気がする』と感じるのも自然です
血のつながりがある人たちの間に立つと、どうしても『自分は外側にいる』という感覚が生まれるものです
でも、家族のかたちは血縁で決まるものではありません
『守りたいと思える人がいる』という一点で、あなたはもう立派に家族の中心にいるのです
『自分の理解者は自分しかいない』というのは、半分正解で、半分は違います
人は、完全には理解し合えない生き物です
でもその不完全な中で、理解しようとする気持ちこそが、他者とのつながりを育てていきます
『分かってもらえない』と感じたときこそ、『それでも関わろうとする自分』を誇ってください
それは、誰にも真似できないあなたの強さです
疲れたときは、その場しのぎでもいいんです
寝て、泣いて、心を鎮める
人間はそんな繊細な生き物です
大切なのは、『立ち直る手段を知っている』ということ
それがある限り、あなたは何度でも立ち上がれます
あなたはきっと、これからも『揺らがない存在』でいようとするでしょう。
でも、完璧に揺らがない人間なんていません
むしろ、少し揺れながらも倒れない人のほうが、しなやかで強い
子どもはそんなあなたの背中を見て、生きる強さを学んでいくのです
どうか、『背負う』よりも『分け合う』ことを覚えてください
それは甘えではなく、成熟のかたちです
あなたのその優しさが、これからは孤立ではなく
つながりとして実を結びますように
以上
DJあおいでした
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