こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
あおい様、いつもありがとうございます。
今回は、自分の心の汚さをどうにかできないか?
というご相談です。
私は全く優しくない人間です。
人としてどうなの?という様なことを平気で思います。
他人の成功は喜べないし、友達に何か悲しいことがあっても、心からは悲しめません、それどころか少しめんどくさく思ってしまいます。
卒業式で泣いたりしたこともなければ、凄惨なニュースで胸を痛めることもありません。
しかしながら、優等生の行動や言動は取れるのです。
客観的にみて人としてここはこう振る舞っておくべきだな、と思ったことをしたり、言ったりできるので、周りの人間たちは私が心底優しくて思いやりのある人間だと思ってます。
しかし違うのです。全く違います。
人に優しく出来るのも、優しい人だと思われたいがため、それに対する見返りなどが欲しいだけだと思います。
心根が腐ってます。
なんでこんな捻くれた人間になったのか心底謎ですが、この状況は今の私にとってとても苦しいのです。
純粋に人の成功や喜びごとを嬉しく思いたい、誰かが悲しんでいる時は、自分ごとのように涙ぐみたい。
そんな人間になるためにはどうしたら良いでしょうか?
共感性が欠如しているわけでもないと思うんですよね…。わかりませんが。
相手がどんな言葉をかけて欲しいかなどは、割とリアルにわかってしまいます。
私はどうしたら良いのでしょうか?
あおい様のお知恵をお貸しいただければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

相談者様は認知的共感(相手の立場や欲しい言葉を理解する力)は十分にある一方で
感情的共感(他人の感情を自分の心として感じる力)が弱い状態ですね
この原因は共感性が欠如しているわけではなく
幼少期から『こうあるべき』という規範や社会的期待を優先して行動してきたことにあります
その結果、行動は優等生的でも感情は理性や規範に従って抑制されており
自然な喜びや悲しみを感じにくくなっているという『よくあるパターン』です
生き辛いですよね
黒い感情が湧いてしまう原因は、『こうあるべき』という規範へのカウンター
『やりたいこと』が『やるべきこと』になってしまうと拒絶反応が出てしまうアレと同じ
『こうあるべき』という価値観と感情の間で生じる葛藤の結果ですね
決して『心が汚い』というわけではありません
ただ、規範にがんじがらめにされているため
『規範で共感したくはない、感情で共感したい』という本能が暴れているのでしょう
相談者様のように、『優しくあらねば』『正しい行動を取らねば』と常に自分を律している人は
外から見るとしっかりしているけれど、内心はとても疲れている人が多いです
『べき思考』を少し緩めるだけでも
感情を味わいやすくなり
自然な共感や喜びも少しずつ育ちます
『こうするのが望ましいけど、感じることを優先してもいい』と自分に許可を出す感覚が大切ですね
以上
DJあおいでした
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