こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
djあおいさま
こんにちは。
20代後半独身OLです。
中学生の頃から今に至るまでお世話になっております。
あおいさんは心の拠り所のような存在です。
早速ですがご相談させてください。
最近身内の死があり、人生は有限だと強く意識する様になりました。それ以降、周りの人達との『人生への熱量の差』を大きく感じ、話していて苦しいです。
仲良い友人や好意を持ってくれる異性、皆良い人ですが、
会う人会う人、人生が無限かの様に、なんとなく生きています。
可も不可もない状況を好んでいる人たちのような感じもします。
同等に悩みを共有したり、痛みを分かり合ったり、奥深い部分の面白さを共有しあったりできていない感じがするのです。
そして、皆私の事を暑苦しく感じているのでは、いつか離れていってしまうのではと懸念もあります。
私は、性格上「なんとなく」な事柄があまり無いです。
終わりがあるから人生ぶん回したい。
選択に覚悟を持ち、何に貢献できるか、人としてどうありたいか、自分にとっての幸せは何か、何が必要か、考えています。
それらがベースにあり、周りに置く人間、恋愛観、キャリア、衣食住…色々定まっています。興味も深く追求します。
相手に期待するハードルを落とし楽しい時間を共有する程度の距離感にしたら良いのかと考えましたが、同じ熱量で語ったり生きていける関係が欲しいです。
人としていいなと思う男性(とても希少な存在です)に告白されましたが、彼には私の思考量や重さを扱えない感じがしています。
このまま凝り固まった人間になりそうで怖いです。
まとまりのない話で申し訳ございませんが、アドバイスをいただけたら幸いです。

身近な人の死に直面したときに、多くの人が一度は抱く感覚ですね
身近な死は、強制的に『有限』という現実を突きつけます
それまで『明日も当たり前にある』と思っていた時間が、いかに脆いかを知った瞬間から
人は急に“人生の儚さ”を意識せざるを得なくなります
だから相談者様が『人生をぶん回したい』『覚悟を持って選びたい』『深さを共有したい』と強く願うのはむしろ自然なことですし、決して『暑苦しい』わけではありません
ただ、同世代の多くはまだ『有限のリアリティ』を体感していないため、どうしても『なんとなく』で日常を過ごしてしまうことが多く、そこに温度差が生まれてしまうわけですね
今はまだ分かち合える人が少なくても
悲しいことに、そのうち必ず同じ領域に踏み込む人は現れますよ
年齢を重ねれば、誰もが『死』『病気』『大きな選択』と向き合う瞬間に遭遇します
一方で、距離感を工夫すれば“熱量の差”を乗り越えて付き合える関係もあるということ
深い話を共有できる相手を求めつつ、軽やかに楽しめる時間を持つ人間関係も残しておいた方が、人生のバランスは保たれます
つまり『今の友人関係=浅い』と切り捨てずに
軽やかな時間をくれる人
深く語り合える人(今は少数でも)
両方を持つのがいいのではないでしょうか
また、告白してくれた男性については『扱えないのでは』と不安を感じているとのことですが
実際には『扱えるかどうか』ではなく『一緒にその重さを考え続ける気があるかどうか』が大切です
完璧に共感できる相手は稀でも、『一緒に歩む意志』があれば十分に関係は育ちますよ
以上
DJあおいでした
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