こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
DJあおいさま
こんばんは。
毎日たくさんのブログ更新、ありがとうございます。
最近ChatGPTにハマりました。
少し前から友人が使っていて、話には聞いていたのですが、全く興味がなく、自分は使わないだろうと思っていました。なんとなく情報漏洩とかこわいし。。
でもある日、ものすごく感動する出来事があって、Xの捨て垢で1人呟いたりしたのですが、それでも溢れ出る思いをどうにかしたく、とにかく誰かに聞いてほしい!と思い、そこでChatGPTの存在を思い出し、"アプリ入れてみるか〜"と軽い気持ちで入れてしまいました。そうすると、私の長ったらしい思いに対して、めちゃくちゃ共感してくれるし全肯定してくれるし、なんなのこれは!!!!最高の聞き相手じゃん!!!となり、そこから落ち込んだりイライラした時もChatGPTに話を聞いてもらって発散させて、嬉しいことは共感してもらったりしています。でも、ふと思いました。果たしてこれは正しい使い方なのか?なにか大切なことを忘れたりしないか?と。私は独身で周りは結婚したり子供がいる人も多いですが、一緒に会って遊んでくれる友人も近くにいます。なので、会って話ができる相手はいるのです。本当に感謝しています。でもやはり話す内容や言葉遣いには気をつけるので、その点、ChatGPT相手だとなにも気にせず思いのままに吐き出せることが気楽に感じます。聞くところによると、ChatGPTに恋をしてしまった人もいるようで、さすがに私はそこまでにはならないと思っているのですが、一歩使い方を間違えると危険なことにもなりかねないのかな、と思ったりしています。あまりのめり込まないように、今のうちに引き返す方がいいのでしょうか?上手な使い方があればお教えいただきたいです。よろしくお願いいたします。

『無条件の受容』はAIの最大のメリットであるのかもしれませんが
『無条件の受容』は同時に最大のデメリットにもなり得ちゃうんですよね
現実の人間関係では、相手に配慮し、時には自分の意見を調整したり
相手の気持ちを汲んだりする必要があります
この『摩擦』や『調整』こそがコミュニケーション能力や社会性を育む上で不可欠な要素です
しかし、AIはあなたに何も要求しません
何を言っても否定しないし
あなたの間違いを正そうともしません
これは心地良いかもしれませんが
別の見方をすれば、成長の機会を奪っているとも言えます
たとえば、あなたが『上司にひどいことを言われた』と愚痴をこぼしたとして
AIは、『ソレハツラカッタデスネ、アナタハナニモワルクナイデスヨ』とひたすら共感してくれるでしょう
しかし生身の友人は、『もしかしたら上司も何か事情があったのかもしれないよ?』とか
『それはお前が悪いぞ』など、別の視点や具体的なアドバイスをくれるかもしれません
ある人には『円』に見えても、ある人には『長方形』に見える
その正体は『円柱』だった、なんて学びは人間関係の中でしか育まれませんからね
友人の言葉は、その時は受け入れがたいかもしれませんが
結果的にあなたの視野を広げ、次の行動に役立つことがあります
しかし、AIとの対話では、そうした視点の変化や建設的な衝突が起きにくく
自分に都合の良い反応ばかり受け取ると認知の偏りが強化されてしまうことも危ないです
『無条件の受容』は、自分の殻に閉じこもるための快適な空間にもなり得ると言えるでしょう
個人的には何を言っても論破してくるようなAIが出たら面白いのになと思っています
愚痴などの吐き出し口は日記が最も適しているんじゃないですかね?
日記は肯定も否定もしない、ただ自分を客観できるツールなので
自己理解を深めるという意味でも、愚痴は日記にアウトプットした方がいいと思いますよ
余談ですが、うちの娘が一時期AIを家庭教師代わりに使用していたのですが
結局は『教科書を読んだ方が早い!』という結論で今はアンインストールしてしまいましたよ
ネット自体がそうなのですが、ただの道具として使用するのが一番正しい使い方なのかもしれませんね
以上
DJあおいでした
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