こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
DJあおい様
もし目に止まりましたら、ご回答いただけると幸いです。
当方30代前半女です。
一番の親友を亡くしもうすぐ8年になります。友人は精神疾患を患い都外に引っ越していましたが、お互い一番の親友だったのでよく彼女の家を訪れていました。毎日のように話を聞いたりアドバイスしたりしていましたが、今思えば若気の至りでありもっと勉強して適切に関わることができていればと今でも後悔があります。また、私が社会人になってからは彼女に話を聞いてもらうこともあり、彼女のもつゆったりした空気に癒されていました。本当に彼女は私の一部であり、彼女にとっても私は一部だったと思っています。
親御さんからは(本心はわかりませんが)感謝されていて訃報を直接もらい、お通夜から焼香までひととおり居させてもらい、弔辞の機会も頂戴しました。当然ですが親御さんも私も悲しみは深く、お墓参りの打診ができるようになったのが数年後。感染症蔓延や二度の出産等があり、お墓参りはまだできていません。
彼女との別れはまだ完全に乗り越えたようには思えておらず、日に日に薄れていく彼女との思い出に寂しさを感じています。毎年命日にはお菓子を贈っており、いつか仏壇に手を合わせてお墓参りをしたいと思っていますが、そこで懸念がふたつあります。まずは、毎年命日の贈り物をいつまで続けて良いのか、そしてお墓参りに子供連れで行くのは彼女がなし得なかった幸せな家庭を新たに築いたことを親御さんに示すことになり親御さんの負担になることを懸念しています(親御さんは私が二児のワーママであることは把握しています)。特にお墓参りの件は私の母も懸念を示しているところであり、菓子折りも10年を目処に終了するよう助言されています。私個人的には命日の頃に親友との思い出に耽り、親友が喜びそうなお菓子を選ぶのは悲しみを癒す大切な時間であり、積もる話を墓前でしたいという思いもあるのですが、一番悲しむ権利のある親御さんの迷惑になるのは本意ではありません。誰も傷つけずに、負担をかけずに彼女を大切にするにはどうしたらよいのでしょうか。
相談内容は以上です。
鈴虫の声が幻に聞こえるほど暑い日が続いています。DJあおい様もご家族様もどうぞご自愛ください。

あなたにとって親友は人生の一部であり
親友もあなたの一部だったという思い
きっと大切にされていたのですね
その絆の深さは文章から十分に伝わってきます
毎年、命日にお菓子を贈ることや
将来的なお墓参りでの思い出の共有は
悲しみを整理し、親友との関係を心の中で持ち続けるための大切な時間です
その行為自体は誰かに迷惑をかけるものではありませんし
心理学的にも追悼行為はグリーフケアとして有効です
贈り物の期間や頻度についても
親御さんに軽く相談して了承を得るだけで、柔軟に続けられるでしょう
特にお子さんを連れてのお墓参りについては
むしろ親友にとって喜ばしいことです
もし親友が今もあなたのそばにいて見守ってくれるなら
『新しい幸せな家庭ができました』という報告は、きっと微笑ましく受け止めてくれるはずです
また、親御さんも、亡くなったお子さんの大切な友人がこうして人生を続けている様子を見ることは
悲しみの中にも安心や喜びとして受け止められることが多いです
もちろん、事前に『子どもも一緒にお参りしてよいか』と一言伝えておくと、配慮も示せます
大切なのは、親友を想う自分の気持ちを大切にしつつ、相手への配慮も軽く確認することです
その両方が叶えば、誰も傷つけずに親友を大切にすることができます
お菓子を選ぶ時間や墓前での積もる話も、悲しみを癒し、親友との関係を今も生きたものとして感じる大切なひとときです
どうかその気持ちを大切にしてください
『この世からいなくなってしまったこと』は仕方のないこと
でも、本当に大事なのは『この世にいたこと』なんですよね
確かに存在していたという現実の方が遥かに大事なことであり
それを証明できる人がいることが何よりの救いです
四六時中とは言いませんが、せめて命日くらいは
『彼女は確かにこの世に存在したんだ』ということを思い出してあげてください
以上
DJあおいでした
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