こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
DJあおい様
お疲れ様です。
いつも恋愛について悩んだ時はブログを参考にさせていただいています。
私は現在25歳で、同い年の彼氏と遠距離で約3年ほど付き合っています。
付き合って2年が経過した今年の2月くらいから彼氏に「自分の許容量の限界が来そう」と言われるようになりました。
理由は性格の不一致で、私は相手への不満などを直接指摘する方なのですが、相手は雰囲気を悪くしないよう内に溜め込むタイプです。2月にその溜め込む許容量に限界が来たと言われ、数日会った後に数週間ほど距離を置かれました。
距離を置くと許容量が回復して、まだ付き合い続けてもいいと思えるようになるらしいです。
8月に2泊3日の旅行に行ったところ、2回目の許容量の限界が来たらしく、「付き合い続けることはできるが、一緒に暮らすなどのビジョンが持てない」「このまま付き合い続けることは不誠実に思っている」と、別れの宣言のようなものを受けました。
2月と違い、今度こそ修復は不可能だと別れる覚悟をしていたのですが、どうしても自分としては付き合い続けたい、その為なら性格を変えていくという気持ちが抑えられず、相手にも「付き合い続けたい」と伝えました。
すると、相手からは「許容量が落ち着いてきたので判断は任せる」と返信が来ました。
現在、その判断ができず悩んでいます。
冷静に考えると相性的に別れた方がいいはずなのに、どうしても感情面で別れる決心が付きません。
別れようと言われれば、それを決め手に自分の葛藤にも決着をつけると考えていたのに、そうならなくて戸惑っています。
相手のためにも別れるというのが一番なのか(相手は決断することが苦手です)、それが相手を思いやるということなのか、あおいさんのご意見を伺いたいと思います。
暑い季節が続きますが、ご自愛くださいませ。

彼が『許容量の限界』を感じて距離を置くのは
彼自身が内に溜め込む性格だからではなく
相談者様の不満の伝え方が彼をそうさせているんじゃないですかね
不満などを直接指摘するタイプにありがちなことなのですが
断定的で反論を許さない『言い方』になっていることが多いです
そのため彼は内に溜め込む性格になってしまったのではないでしょうか
『正論は人を傷付ける』とよく言われるのですが
多くの場合は正論が人を傷付けているのではなく
言い方が人を傷付けているんですよね
敬意や好意、または親しみが込められるのは
『何を言うか』という言論の領域ではなく
『どう言うか』という言い方の領域ですからね
言い方に敬意が込められてさえいれば
それが正論であろうと誤論であろうと
言論の正誤に関係なく人は『聞く耳』を持ってくれます
しかし『正論』という正義を手に入れてしまうと
人に対する敬意を失ってしまう人が多いんですよね
『自分は正しいのだから他者に敬意を払う必要はない』と思い込み
その結果『言い方』に敵意が込められてしまうわけで
人はそれに傷付いてしまうだけで
正論が傷付けているわけではないんですよ
コミュニケーションにおける言語の役割は約二割と言われています
残りの八割は態度や表情
声の大きさ等の非言語
つまり『言い方』なんです
人は人の話を聞く前に人を見ます
この人は自分に対して敬意を持ってくれているのだろうか
もしくは好意を持ってくれているだろうか
その情報を非言語から読み取り
『この人は大丈夫ですよ』と脳がO Kサインを出してくれて
初めて『聞く耳』を持つのです
それが自分とは異なる意見であろうと言い方さえ良ければウェルカム
異なる主張同士で有益な意見交流ができるでしょう
逆に言えば、言い方が悪ければ全てがご破産
どんなに素晴らしい意見であっても誰も聞く耳は持ってくれず
無理矢理押し通そうとすれば異なる主張同士で殴り合うだけ
そしてその主張が正しければ正しいほど
一方的に傷付けてしまうだけになってしまうということです
そのやり方では相手を黙らせることが限界で
相手を納得させることまではできないんですよね
正しいことを言うときこそ正しい言い方に気を付けること
べつに謙る必要はありませんが
その人の意見を尊重する敬意を込めて正論は扱ってください
以上
DJあおいでした
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