こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
あおいさん
こんにちは。あおいさんのブログのファンです。この度は聞いていただきたいことがあり、メール差し上げました。
私には持病があり、これに仕事や服装、趣味など、日常の様々な選択が制限されています。前職は病気が原因で諦めざるを得ず、今は持病があってもできる、という観点で選んだ仕事に就いています。現在この病気には副作用付きの対症療法があるのみで、効果的な治療法は確立されていません。
病気は生まれつきで、症状自体は軽くなるでも酷くなるでもなく変わらずなのですが、心理的負担は歳を重ねるほどに重くなっている気がしています。みんなが同じ学校に行き、ほとんど同じことをしていた子ども時代もそれはそれで苦労はあったのですが、選択肢が広がっていく大人時代の方が逆に、自分の選択肢の狭さを突きつけられるように感じます。
周りの人が当たり前のように楽しんでいること、選択できることを、自分は絶対にできない、選べない。選択肢そのものがない、ということが、たまらなく悔しく虚しいです。傍目からは分からないだけで、人には人の地獄があり、みんなそれと日々闘っている。大変なのは自分だけじゃないと分かっているつもりでも、時に障害を持たない人を羨ましく、妬ましく思ってしまうこともあります。「自分にもできる選択」だけに焦点を当てて、できないことから目を逸らそうとしても、恥ずかしながら「なんで私だけ」と思う気持ちを、上手く消化できない時があります。
ただ、この病気を持って生まれてきたからこそ得られたものもたくさんあると思っています。マイノリティならではの困り事や孤独には多少理解が示せるかと思い、それを活かせそうな資格を見つけ、今はその取得に向けて勉強をしているところです。将来はその資格を活かした仕事がしたいというのが今の目標です。
が、ふとした瞬間に、「この病気さえなければ」というタラレバ論に心を持って行かれることがあります。そんなこと考えても仕方ないと頭では分かっているつもりですし、もう大人の年齢なので良い加減割り切りたいのですが…
こういう時、あおいさんならどういう考え方をしますでしょうか?もしお目に留まり、ご意見を伺えたら大変嬉しく思います。
いつもブログの更新ありがとうございます。皆さんの様々なお悩みとあおいさんの回答にたくさん考えさせられ、気付きを得て、私の人生はとても豊かなものになっています。
1ファンとして、これからも応援しております。お体にお気をつけて、楽しく日々をお過ごしくださいませ。
健常者であれば、多岐にわたる進路や職業の選択肢の中から
『自分に何ができるか』を探すところから始めることが多いのですが
特定の制限(病など)を持つ場合、早期から自身の特性や将来を見据えた現実的な目標を立てやすくなります
例えば、特定の分野への進学や、特定の働き方を目指すなど、目標がより明確になり、そこに集中しやすいという利点があるのです
選択肢が限定されることで、残された選択肢に対してより深く、熱心に取り組むことができ
特定の分野や活動にエネルギーを集中させることで
より高い専門性や独自のスキルを磨くことができます
健常者にとって『選択肢が多い』ということはアドバンテージであると同時に
『迷いが生じる』というハンデでもあるのです
そして『選択肢が少ない』ということはハンデであると同時に
『目標が明確になる』というアドバンテージでもあるということです
どちらが優れていて、どちらが劣っているというわけでもない
お互いがハンデとアドバンテージを背負った同格の『人』なのですよ
自分自身を惨めだとは決して思わないように
それは自分に対する侮辱に値しますからね
以上
DJあおいでした
お知らせです
ブログ用Q&Aの相談窓口となるメールアドレスはこちらです
djaoi.otewohaishaku@gmail.com
お気軽にメールしてくださいね
お仕事の依頼はこちらまで
mrnmtzk3159@gmail.com
読者さんからこんな相談をいただきましたよ
お悩み
あおいさん
こんにちは。あおいさんのブログのファンです。この度は聞いていただきたいことがあり、メール差し上げました。
私には持病があり、これに仕事や服装、趣味など、日常の様々な選択が制限されています。前職は病気が原因で諦めざるを得ず、今は持病があってもできる、という観点で選んだ仕事に就いています。現在この病気には副作用付きの対症療法があるのみで、効果的な治療法は確立されていません。
病気は生まれつきで、症状自体は軽くなるでも酷くなるでもなく変わらずなのですが、心理的負担は歳を重ねるほどに重くなっている気がしています。みんなが同じ学校に行き、ほとんど同じことをしていた子ども時代もそれはそれで苦労はあったのですが、選択肢が広がっていく大人時代の方が逆に、自分の選択肢の狭さを突きつけられるように感じます。
周りの人が当たり前のように楽しんでいること、選択できることを、自分は絶対にできない、選べない。選択肢そのものがない、ということが、たまらなく悔しく虚しいです。傍目からは分からないだけで、人には人の地獄があり、みんなそれと日々闘っている。大変なのは自分だけじゃないと分かっているつもりでも、時に障害を持たない人を羨ましく、妬ましく思ってしまうこともあります。「自分にもできる選択」だけに焦点を当てて、できないことから目を逸らそうとしても、恥ずかしながら「なんで私だけ」と思う気持ちを、上手く消化できない時があります。
ただ、この病気を持って生まれてきたからこそ得られたものもたくさんあると思っています。マイノリティならではの困り事や孤独には多少理解が示せるかと思い、それを活かせそうな資格を見つけ、今はその取得に向けて勉強をしているところです。将来はその資格を活かした仕事がしたいというのが今の目標です。
が、ふとした瞬間に、「この病気さえなければ」というタラレバ論に心を持って行かれることがあります。そんなこと考えても仕方ないと頭では分かっているつもりですし、もう大人の年齢なので良い加減割り切りたいのですが…
こういう時、あおいさんならどういう考え方をしますでしょうか?もしお目に留まり、ご意見を伺えたら大変嬉しく思います。
いつもブログの更新ありがとうございます。皆さんの様々なお悩みとあおいさんの回答にたくさん考えさせられ、気付きを得て、私の人生はとても豊かなものになっています。
1ファンとして、これからも応援しております。お体にお気をつけて、楽しく日々をお過ごしくださいませ。
健常者であれば、多岐にわたる進路や職業の選択肢の中から
『自分に何ができるか』を探すところから始めることが多いのですが
特定の制限(病など)を持つ場合、早期から自身の特性や将来を見据えた現実的な目標を立てやすくなります
例えば、特定の分野への進学や、特定の働き方を目指すなど、目標がより明確になり、そこに集中しやすいという利点があるのです
選択肢が限定されることで、残された選択肢に対してより深く、熱心に取り組むことができ
特定の分野や活動にエネルギーを集中させることで
より高い専門性や独自のスキルを磨くことができます
健常者にとって『選択肢が多い』ということはアドバンテージであると同時に
『迷いが生じる』というハンデでもあるのです
そして『選択肢が少ない』ということはハンデであると同時に
『目標が明確になる』というアドバンテージでもあるということです
どちらが優れていて、どちらが劣っているというわけでもない
お互いがハンデとアドバンテージを背負った同格の『人』なのですよ
自分自身を惨めだとは決して思わないように
それは自分に対する侮辱に値しますからね
以上
DJあおいでした
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タウンワークマガジンさんで連載中
夜リラタイムさんでコラムやってます
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