image










こんばんはDJあおいです

読者さんからこんな相談を頂きましたよ








『こんばんは、ブログの更新を楽しみにしている者です!

以前の記事で人を嫌いになってもいい、気の合うところまで距離を広げたら良いと仰っていましたよね。

最近職場の同僚が嫌いになりました。出社時間や勤務時間を若干ずらしたりして関わる時間を減らすなどしたらあまり気にならなくなってきたのですが…

距離を置く原因になったことを思い出すことがあり、怒りがこみ上げてきて自分の頭の中でその人を悪者にしてしまいます。ひとりで頭の中で悪口大会になってます。
でも、そんな自分のほうが心が汚いのかもとか、その人以下なのかもとか、今度は自分を悪者にしてしまいそうになります。

そういうネガティブな思考って変えられますか?
または気にしなくなるために、何か自分でできることってありますか?

P.S. お忙しい中、目を通していただきありがとうございます。
書籍の発売楽しみにしています!』

















好き嫌いと善悪はまったく別のものです
好き嫌いはただの相性の良し悪し
人間性の善悪を量るモノサシにはなりません
好きだからといってその人が『善』というわけでもなく
嫌いだからといってその人が『悪』というわけでもないです
ですので嫌いだからといって罪悪感を感じる必要もありません

その人の人格を否定しない代わりに自分の人格を否定しているだけ
それでは根本的に何も変わっていないです

そもそも『みんなと仲良くしましょう』という幼い頃からの教え自体が無茶な注文なんですよ
同じ環境に複数の人が集まれば相性の良し悪しが生じるのは当然
『みんなと仲良くできない人は悪』という価値観を植え付けてしまうだけなんです

『みんなと同じ価値観を共有しなければいけない』と思い込むと価値観を合わせられない人の人格が否定されてしまいます
もしくは価値観を合わせられない自分の人格を否定してしまいます
ただの相性の良し悪しが人格の善悪になってしまうわけです
こうなってしまうとその人の人格を無視した無差別な攻撃に発展してしまうわけですね

べつにみんなと仲良くなんかしなくていいんです
相性の良し悪しを肯定しなければ価値観の違いは尊重し合えません
それを認めてこそ相性の悪い人との関係は『嫌い』という有害な関係ではなく『無関心』という無害な関係になれるんですよ

人との付き合い方はひとつだけじゃないってことです












以上
DJあおいでした







お知らせです

ブログ用Q&Aの相談窓口となるメールアドレスはこちらです


djaoi.otewohaishaku@gmail.com


お気軽にメールしてくださいね





















       Kindle版はこちら!
オーディオブックもあるよ!




image 公式サイト『DJあおいの勘違いもほどほどに』















クリックにご協力お願いします




お仕事の依頼はこちらまで
mrnmtzk3159@gmail.com