こんばんはDJあおいです
読者さんからこんな相談を頂きましたよ
『あおいさん!
いつもブログとTwitterを拝見しています。
17歳の時、私は進学校に進学し成績優秀なまま来たのにもかかわらず当時は不登校で、家庭にも色々と問題があって諸々重なった所為か、引きこもっている時に
「あ、人生終わった。いつ死んでも良いや。」
と、ふと思いました。
現在は22歳で、持病や対人関係のトラブル等はちょくちょくありますが、仕事もしていて友達には恵まれていて趣味もそこそこあります。家族とはもう一緒に住めないですが離れて住んでたまに会って話しており、今は関係はそこそこ良好です。恋愛に関しては、かなり依存気味で、昔の恋人を引きずっていますが、だからと言って復縁を期待して何かすることはありません。疲れきった時に顔が浮かんで、本当に酷く疲れた時に夢に出てくるくらいです。
至って普通、それどころか恵まれている方だと思います。
なのに、最近は何をやっても楽しくなくて、何があっても悲しくなくて、何を食べても美味しくなくて、わりと何にも興味がないです。恵まれているはずなのに、幸せを「実感」できません。
22年も生きれば流石に現実を知ったからなのか、何にも「期待」することができず、わくわくすることもありません。
子供の頃は毎日毎日学校も勉強も友達に会うのも楽しみで明日遠足ってだけで寝られないほどだったのに、これはどーしてでしょうか?
これだけ恵まれていても「いつ死んでも良い」って思うのは私が甘えているからですか子供だからなのですか?
あおいさん、何かアドバイスをくださると助かります!』
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その命が自分のためだけの命なら
その命に価値を見出だすことは難しいと思います
『いつしんでもいいや』と思える程度の命なのかもしれませんね
人は人のために生きてはじめてその命の尊さに気付くものなんです
今生き生きと自分の命を輝かせている人は
誰も自分のためになんて生きていないんですよ
しんでしまったらきっと泣いてしまうであろう誰かのため
その人が生きている証を感じるため
もっとその人と話をしたい
もっとその人と触れ合っていたい
たまには喧嘩もしてみたい
仲直りもしてみたい
一年後はどんな人になっているんだろう?
五年後は?十年後は?
いつかその人がいなくなってしまう日まで
ずっとずっとその人の命を感じていたい
その人の命に寄り添うために生きているんです
自分では無価値に感じてしまう自分の命であっても
あなたを思う誰かにとってはずっとずっと寄り添っていたい命なんですよ
簡単にしんでもいいなんて言うなよ
その命は生きているだけで誰かを救っている命なんだぜ
以上
DJあおいでした
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