つい四年ほど前に相方も癌という病で倒れたことは先の記事で述べた通り
5年後生存率50パーセントと宣告されたほどの難病でした

今、その当時の記憶をよく思い浮かべる
『あのときはどう立ち直ったのだろう、どう気持ちを切り替えたのだろう』と

たくさんの人たちが前向きな言葉を掛けてくれました
『大丈夫、きっと治るから、それを信じて頑張って支えていこう』
私もそう思っていました、というかそう思いたかった
最悪のケースなんて拒絶して、明るい未来だけを信じたかった
そしてそう信じようと気持ちに力を入れていました

でも、結局それはできませんでした
信じようとすればするほど怖くなるだけだった
怖くなって悪戯に不安を煽るだけとなってしまい
信じることができない自分を責めて
結果的にメンタルをやられてしまいました

『生』は受け入れるくせに『し』は拒絶する
生としは表裏一対のものなのに
一方を拒絶して一方だけ信じようとするのが愚かだったのだと思います
『生』を信じるためには『し』も受け入れなければならない
それに気付いたとき
私は相方の『し』を覚悟しました

その覚悟が出来たとき、前向きに『生』と対峙できたような気がします
もしかしたらこの人は5年後にはもういないのかもしれない
もしかしたら10年後はもういないのかもしれない
それが『いつ』かはわからないけど
いつか必ず来る『し』を受け入れたとき
しっかりと愛することができるようになったと思います

これを周りの人に言ってもあまり理解されないのが少し寂しいですが
生もしも受け入れるのが、最も汚れのない愛情なんじゃないかと
私はそのときは学んだ気がします




そして今娘が白血病という病と闘っている
今はもうそれは治らない病気ではないと言われていますが
親としてはしぬほど不安です

相方のときのように『生もしも受け入れる』なんてことができるのか
今はまだその自信はないけれど
一緒に闘いながら成長できて
強く愛することができたのなら
私たち家族はもっともっと『家族』になれるような気がする

今はそのプロセスにあるのかな、なんて思っています