想いよ、逝きなさい
DJあおい
幻冬舎
2017-09-21
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こんばんはDJあおいです

読者さんからこんな相談をいただきましたよ




『最近悩んでいることがあります。
会社の同期の子についてです。
私は今まで生きていて、人を激しく嫌いになったことがありませんでした。
ですが、その同期の子が、どうしても生理的に受け入れられないのです。他の人からしたらその子は全然普通だと思うのですが、私はその子の全てが嫌いです。その子の、上から目線で物を言うところや、人がどう感じるかをまったく考えない幼さが特にいらいらします。
本当に大嫌いなのですが、同時に、気になってしまうのです。そして、その子が不幸になってしまえばいいとさえ思ってしまいます。その子の近くにいかなければ(見るだけでも不愉快になるため)、その子の存在を忘れられるなら、こんな気持ちにもならないと思うのですが、なぜか動向が気になってしまいます。
どうしたらこんな不愉快な気持ちから離れて、その子に対して無関心でいられるのでしょうか。こんな腹黒くて性格の悪いことを考えたくありません。あおいさま、どうかご教授ください。』

 







人を嫌いになること、『許せない』と感じることは誰でも一度は経験があることでしょう
自分に危害を加える人に限らず、見ず知らずの人の不祥事や不倫等
自分には関係のない人にも『嫌い、許せない』という感情を向けてしまうことがありますね

では一体その人の何が許せないのでしょう
相談者様の場合ですと
『上から目線でものを言うこと』『人の気持ちを考えない幼い言動』
でしょうか
これは自分の中にある『ルール』に反している行為だと思います
相談者様の例で言えば『目上の人には礼儀正しくすべき』というルールと『他人の気持ちを慮る言動をすべき』というルールが自分の中にあるわけですね

それはとても立派な思想でありそれ自体は間違いではないのですが
ひとつだけ間違えているのがそれを『ルール』にしていることなんですね
それをルールにしてしまうとルール違反をしている人が許せなくなってしまいます
『自分はルールに従って我慢しているのになんでこいつは!?』という心理が働いてしまうんですね

ルール違反にはペナルティーが課されるのが世の常で
それをルールにしてしまったことによりその人に罰を与えたくなってしまいます
自ら罰を与える人もいますがだいたいの場合は天罰を期待してしまいます
その人が何らかの形で罰を与えられるを期待してしまうんですね
その期待が執着となり嫌いな人なのにその動向が気になってしまうというわけです

大事なのは自分の価値観を『ルール』にしないこと
目上の人を敬うことは立派なことだと思いますが
それは『目上の人を敬いたい』という自分の自由意思ですることであって
自分の中のルールによってしているわけではないのです
自分がやりたいと思っているからやっているだけ
自らが自らのルールから解放されたとき、他人の見方も変わってくるでしょう

あまり自分自身に禁止事項を設けないように
自由に生きていればたいていのことは許せますからね







以上
DJあおいでした



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