こんばんはDJあおいです

読者さんからこんな相談を頂きましたよ










『あおいさん、こんばんは。
いつもブログ拝見しています。
今日は聞きたいことがあってメールしました。

私は社会人1年目の22歳です。
5歳年上の付き合って3年になる遠距離の彼氏がいます。
彼とはほとんど毎日電話をしてその日あったことなど話したりしています。
最近よく喧嘩になるのが愛情表現についてです。
もっと好きという気持ちを出して欲しい、愛情表現をしてほしい、もっとラブラブいちゃいちゃした会話をしたいというのです。
気持ちが伝わってこないから不安で心配になって余計なことを聞いてしまうと。
外出時に「○○に行ってくるね」というと「何しにいくの?」と聞かれたり
仕事帰りに「少し寄り道して帰るね」というと「どこで寄り道するの?」と聞かれたり。。
最近に限ったことじゃなく、そう聞かれることがつらくなってきています。

私の気持ちとしては、好きが減ったわけでも冷めたわけでもありません。
彼との電話できる時間は楽しいし、ラブラブしていなくてもたわいもない会話をできる時間を幸せに感じています。
それなのに、「ラブラブしたいな」「愛情表現して」と直接言われると余計そういう気分にならなくなってしまいます。そして雰囲気が悪くなり喧嘩・・・というのがいつものパターンです。
どうしてほしいのか聞いても、もっと気持ちを出して欲しいだけで具体的に何かをして欲しいわけじゃないと言われてしまいます。

あおいさん、愛情表現とはなんでしょうか?
どうすれば彼を安心させることができるのでしょうか?

わかりづらい文章ですみません。
回答いただけたら嬉しいです。』











愛情表現とはなんぞや
ということなんですけども

対象となる人に直接的に伝えることも確かに大事なことだと思います
言葉や態度で直接的に伝えてもらえないと不安になってしまいますからね

でも『言葉や態度だけ』ではそれもまた不安を感じてしまうものでして
その愛情表現だけでは『愛されている安心感』というものは得られないわけです

そもそも愛情とは何なのか
と言ったら
ただの燃料なんですよね

それ自体にはまだ価値はないものでして
『その愛情をもって自分は何ができるのか』ということに価値があるわけです

仕事を頑張ってみたり
勉強を頑張ってみたり
家事を頑張ってみたり

『愛情表現』というものは何気ない日常の中にこそたくさんたくさんあるものでして
それは日常の中に溶け込んでしまいとても見付け難いものなんですけども

その日常は愛情で支えられているものだったりするんです

それが二人の『土台』となる愛情表現でして
それに気付けることができたときに『愛されている安心感』というものが得られるわけですね

『無償の愛情表現』というものは見返りを求めていないものですから

それはとても見付け難いものなんですけども

無償の愛情表現に気付くことができるのは

無償の愛情表現を捧げている人だけなんですよ


イチャコラぶっこくだけが愛情表現じゃないってことさ












以上
DJあおいでした










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